2014年12月26日金曜日

ジョー・クリフォード氏のブログより(翻訳)

ジョー・クリフォードさんのブログを訳していただきました。
(気持ち短くまとめてもらいました)
 
今回の 「大いなる遺産」、両チーム観劇後、舞台化バージョンの原作者であるジョー・クリフォードはスタジオライフを、いろいろな意味で 「恐れを知らぬ劇団」と形容した。その言葉の意味を12月23日、ブログで語った。
ちなみにジョーさんがもしスタジオライフで演じるとすれば、ジャガーズかミスハヴィシャム役がしたいそうですよ。
 
Letter from a theatre in Japan
手紙 – とある日本の劇場より
ジョー・クリフォード、ブログ
2014年12月23日
 
私が子供の頃好きになった演劇はその本質を怖がったり恥ずかしがったりしない演劇でした。マジカルで神秘的、つまり深い感情でもって壮大な物語を伝える演劇です。そういう演劇は、陳腐な方法で人生を映し出したりせず、人生の表面的な側面にこだわりません。内なる世界に目を向け、 こうであるかもしれない人生、あるいはこうあるべき人生というものに目を向けているのです。満ち足り、深く、意味のある人生に。私自身、そういったもものを作り上げようと努力してきましたが、こういった演劇は今、イギリスでは殆ど見られません。人々は 感情過多になることを、センチメンタルになることを、メロドラマティックになる事を恐れているように思います。
 
凄く変な感じですが、地球の裏側の外国、日本にやって来て、まるで故郷に帰って来たような気分です。それは、東京で私のGreat Expectationsを上演してくれているスタジオライフという劇団が、もう何年も前に私が好きになった演劇をつくり出しているからです。 スケール感を、深い感情を恐れない演劇です。この劇団は身体、声、美術、そしてクリエイティブな知識すべてを駆使して物語を伝えているのです。そのような演劇はまた、どのような美的表現をも恐れてはいないのです。
 
彼らは日本の伝統的な演劇に根ざす演技のスタイルを持っています。イギリスでは産業革命の影響でシェイクスピアの時代のスタイルとの繋がりが断ち切られてしまいました。そのため、どうにも不毛なリアリズムに取り憑かれ、行き場を失っているのです。けれども日本では今でも演劇のルーツがしっかりと残っているのです。
 
スタジオライフは男優集団で、演出家だけが女性です。このカンパニーは魅力的なダブルキャストのシステムを使用していて、男優達は役やジェンダーを交代で演じています。役者達は2チームに分けられていて、両チームともひとつの役しか演じない人もいますが、ほとんどの役者が二役以上を交代で演じています。というわけで、2日間、私は同じ役者が様々な役を演じるのを観ました。これはカンパニー精神を作り上げるなんとも効果的な方法であり、若い役者をトレーニングする素晴らしい方法です。両チームともフレンドリーでありながら、いいライバルなのです。さらに、観客の楽しみ方にも新しいアスペクトを加える結果となっています。観客は少なくとも90%が女性でした。彼女達は熱心なだけでなく、凄まじいパワーを持っており、知識も豊富な感じです。30年の歴史の中で、このカンパニーはオフィシャルファンクラブを設立し、何千人ものファンクラブメンバーがいます。このファンクラブの人達は、毎公演観るだけでなく、毎公演2回観劇しているのです。そしてどちらのチームが好きか比べたりしています。
 
2チームを観劇する事はとても楽しいです。私も実際に観てみてそう思いました。最初の夜のエステラ(青木さん)はオープニングの場面がとても素晴らしかったです。これまでに観たことのないものを目にしました。かなり不機嫌なおてんば娘がフリルのドレスを着せられて大激怒しており、自分にふさわしくないジェンダーを演じさせられているという印象でした。彼女はまるでピップに復讐をしているかのようだった。二日目の晩のエステラ(久保さん)は最後のシーンでとてつもなく美しいパソス、悲しみを演じていた。彼女は完全に静まり返った観客の前で、子守唄を歌いあげた。 その恍惚とした沈黙が破られる事があるとすれば、それは観客のすすり泣く声だった。最初の夜、とても美しい優しさをみせていたビディ役の役者(千葉さん)が、次の日の夜にはマグウィッチをひどく扱う兵士に変身していた。
 
初日の芝居の最後に、二日間とも、カーテンコールで少しの間、役者達が自分の役を抜け出して観客に「ありがとう」と伝えていたのもすごく印象的だった。初日の数日前に一度、劇場を訪れた時、マグウィッチ(石飛さん)は衣装のお針子さん達と一緒に座って縫い物をしていました。このカンパニーは大家族、ファミリーなんだという説明をうけました。全員で芝居を作り上げている。
 
今のイギリスでは、劇団に所属するという感覚がわかりません。私は 80年代の終わり、トラバースシアターに所属して、ほとんど毎年戯曲を書いていた頃、一瞬、そういうものを垣間みましたが、今振り返ってみれば、あの時代が一番ものを作れた時代、自分のベストの作品をつくる事ができた時代でした。90年代の初めになって、あの組織が 無くなってしまった時、とても傷つきました。時々、あの時の心の傷からまだ完全に立ち直れていないのではないかと感じることがあるくらいです。
 
東京の劇場での私にとっての最後の夜、エステラを演じていた役者(久保さん)が私のもとに来て握手をしてくれました。この役者は今回、このカンパニーで大きな役をするのは初めてで、とても光栄に思っているそうで、今でも実感が湧かないけれども、これからもっともっと良くなるように頑張りたいと言っていた。それから、メイクをしたまま、衣装もそのままで他の役者と一緒に人でごったがえしたロビーで観客に挨拶をしたり、グッズを売ったりしていた。握手をして、おめでとうと言えて本当に良かった。この役者の目を見た時、理想の世界のイメージが目の前に現れた。そこでは、私はある劇団に受け入れられ、涙も、恥じる気持ちも無く自分の、役者としての才能を開花させていた。そこではまた、私は作家になっており、演出家にもなっていた。もしかしたら、そういう劇団に出会えていたなら、私はもっと完璧な演劇アーティストになっていたかもしれない。きっと、もっと幸せなアーティストに・・・
 
ともかく、一つ確かな事がある。それは、この劇団がとても特別な劇団であることだ。座長である河内喜一朗氏の死を大きな勇気で乗り越えた。この劇団は私達にたくさんの事を教えてくれる。この劇団と仕事ができて光栄に思う。スタジオライフがこれからもうまく行くように、心から、熱望する。